函館の路面電車、「開業百年」の歩み
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2013年は、函館の街に路面電車が走りはじめてから、ちょうど100年の節目の年。この一年、函館市電は「百」をデザインした記念ロゴをまとい、街を走りまわります。
路面電車が走りはじめた1913(大正2)年の函館は、北海道の表玄関として活況を呈しており、それまでの馬車鉄道に代わって颯爽と登場した姿は、街で注目の的でした。今でも、市民の日常の足として、また観光客の皆さんには移動の足として、広く親しまれています。
函館の街を見守ってきた路面電車。100年の歩みを振り返ります。
(上)「百年」の赤いロゴマークを車体に貼って走る「らっくる号」
◆馬車鉄道から路面電車へ。最初は電力会社が経営
函館の路面電車は、温泉旅館や別荘などが立ち並んでいた「函館の奥座敷」湯の川温泉と、当時の函館区内の都市交通を担うため、1897(明治30)年に開業した「亀函馬車鉄道」が元になっています。馬車鉄道はは馬が客車を牽くもので、あまり速度が出ず、軌道上で乾いた馬糞が風に舞う「馬糞風」などの問題を抱えていました。
開業時に技術協力を受けた東京馬車鉄道は、1903(明治36)年に路面電車に切り替え。函館でも、電力会社「函館水電」が馬車鉄道の会社を買収し、電車用の車庫の建設、架線工事、電車の購入などを進めました。1913(大正2)年6月29日、最初の路線となる東雲町(後の労働会館前、1992年廃止)~湯の川間が路面電車での運行に切り替えられ、翌年12月までに全線が切り替えられました。
路面電車の運行開始は札幌や秋田・仙台より早く、東京より北では初めてのことでした。
◆創業時の電車と大型車の導入
創業時に登場した電車の10型には、丸屋根の新造車のほか、東京市電(後の東京都電)や千葉県成田市を走っていた成宗電気軌道、遠くは九州福岡の福博電車(後の西鉄福岡市内線)の中古車が含まれていました。これらの屋根は、「箱館ハイカラ號」で現在も見ることができる「二重屋根」でした。
当時の利用者は車体前方と後方の吹きさらしのデッキから乗り降りしており、デッキで運転している運転士は雨や雪が吹き込んでくることから、荒天時の運転は大変苦労したそうです。また、前と後ろについている網は「救助網」と呼ばれるもので、万一軌道内にいる人を跳ねた場合、車輪に体を巻き込まないために取りつけられていました。
「函館名所 湯ノ川電車終点林長館前」→
1910(明治43)年から導入された50型は、全長12メートル、定員79名。台車も2組備わる大型「ボギー車」で、アメリカで隆盛を極めていた郊外電鉄(インターアーバン)の車両を範にして設計されました。道路幅の関係で、乗客数が多く、大型車での運行に支障のない大門前(現在の松風町)~湯の川の区間で運行されていました。
当初は車内の3分の1を仕切り、普通室と富裕層向けの貴賓室とに分けて使用。貴賓室には上等な座席や鏡が備えられ、車内で芸子さんが化粧をしていたという話が伝わっています。ただ、貴賓室の運賃は普通運賃の7割増しで、当初から利用者数が少なく、1924(大正13)年に全車普通室へと改造されました。なお、この大型車両は6両ありましたが、後の火災ですべて焼けてしまいました。
←「函館 湯の川温泉場電車待合所」
←「函館 湯の川温泉場電車待合所」
◆火事で大半の車両を失った路面電車も、力強く復活
函館は古くから火災に翻弄された街で、路面電車も例外ではありません。1926(大正15)年1月20日に起きた新川車庫火災では、51両あった電車や貨車のうち31両の車体が焼け落ちました。これは車体が木造で、火に弱かったことが理由です。火災後は、まだ使える台車を利用して自社工場で作った車体と組み合わせ、新車より安価に完成度の高い車両を製作したという逸話も残っています。
1934(昭和9)年3月21日に発生し、市街地の大半を焼き尽くした昭和の大火では、新川車庫と48両の電車が焼失したものの、難を逃れた16両の電車で、3月28日には一部区間、31日には全区間の運行が再開しました。不足する車両を補うのに、函館生まれで火に強い半鋼製車体の300型が登場しました。しかし、市民に親しまれていた大型車は復旧されることはありませんでした。
「昭和九年函館大火の惨状 新川町附近の惨憺たる光景」→
◆戦時下、函館市電の誕生と女性乗務員の活躍
太平洋戦争真っただ中の1943(昭和18)年、函館の路面電車は市営化されました。戦局が悪化する中、招集を受けて戦地に送られた男性乗務員に代わり、運行を担う女性乗務員を採用。当初は車掌、最終的には運転士として、戦時下の市電の運行を支えました。
1945(昭和20)年になると、割り当ての資材すら届かなくなり、車庫に留め置かれる車両が増えるなどの影響を受けたものの、市民の日常の足として運行は続けられました。7月15日には函館もアメリカ軍による空襲を受け、時を同じくして青函連絡船は壊滅しましたが、幸いにも市電の運行にはあまり影響がなかったようです。
そして8月15日に終戦を迎えると、戦地から続々と男性職員が復員。女性乗務員は、市電や市営バスの車掌などに転じたそうです。
←「灯火管制 防空演習の実況 大門附近上空の大夜戦」
←「灯火管制 防空演習の実況 大門附近上空の大夜戦」
◆黄金期の昭和30年代、路線長や利用者数がピークに
戦後の復興が進展して、市電の利用者数が徐々に増えはじめると、戦時中に酷使されて老朽化した車両に代わる新車の導入や路線の拡充、線路の補修などが進められました。
路線拡充により、これまで二股になっていた路線間に新しく線路を敷いて環状運転ができるようになったほか、区間が延ばされて、五稜郭駅前から函館駅前を経由して弁天(後の函館どつく前)まで、乗り換えなしで向かう系統も新設されました。
1959(昭和34)年には終戦直前に廃止された湯の川付近の区間が再開されたことから、路線長が合計17.9 km、環状線を含めて12系統体制で運行されるようになり、まさしく黄金期を迎えました(左図。クリックすると拡大します。現在は赤い部分のみで総延長は10.9km、2系統体制)。年間の利用者数も、ピークとなった1964(昭和39)年度で約5000万人。これは現在の約10倍の数字です。
◆効率化が進められ、車体広告電車も街の景観の一部となる
利用者の増加や車両の増加も重なり、既存の駒場・柏木の2つの車庫だけでは足りず、1966(昭和41)年には梁川車庫を設けたものの、他の街の路面電車同様、自動車が普及するに従って乗客数は少しずつ減りはじめます。
1968(昭和43)年には、効率化のためにワンマン運転を開始。その後3つの車庫が現在の駒場車庫に集約され、車両数も93両から67両に削減されました。1993(平成5)年までに路線の整理も進められ、現在の2系統、37両体制での運行となりました。
1975(昭和50)年からスタートした車体広告電車は、ほぼ全ての車両に施され、すっかり函館の景観の一部に。現存する路線の沿線には、谷地頭、西部地区、五稜郭公園、函館競馬場、湯の川温泉などがあり、主要な観光スポットを結ぶ観光の足として重要な役割を果たしています。
◆快適さ・利用しやすさを求める試みも続々
函館市電には現在すべての電車に暖房がついています。1969(昭和44)年に灯油燃焼式暖房が試験的に設置され、成績がよかったことから導入されました。1990年代初頭に登場した2000型と3000型には当時の最新技術が多数盛り込まれ、3000型は函館市電で初の冷房車。現在は、営業車の約2割に冷房がついています。
合わせて「車体更新」も行われており、昭和30年代製の800型の台車などを活用して車体を2000型相当のものに取り換えた8000型は大成功を収め、10両が運行されています。
一方で2000年代に入ると、車いすでも乗り降りしやすいバリアフリー対応車両の導入が進められ、2002(平成14)年には入口の高さを停留所の高さに揃えた部分低床電車8100型、2007(平成19)年には入口から出口まで床面を停留所の高さに揃えた超低床電車9600型(写真)を導入。今後も増備が予定されており、停留所のバリアフリー化も随時図られています。
◆観光の花形「箱館ハイカラ號」の運行と、女性乗務員の復活
「箱館ハイカラ號」は、1993(平成5)年から運行されている復元チンチン電車。市電の車両の中でも、街並みにマッチするレトロな外観が人気です。この車両は、1918(大正7)年に千葉県成田市の成宗電気軌道から購入され、新川車庫火災と函館大火を無傷で凌いだという運のいい経歴の持ち主です。
戦後徐々に姿を消した女性運転士や女性車掌も、車掌に関しては箱館ハイカラ號の復元時に復活。現在も、春から秋にかけて箱館ハイカラ號に乗務している姿を見ることができます。男女雇用機会均等法の改正も手伝い、1944(昭和19)年以来途絶えていた女性運転士が採用されたのは2005(平成17)年のこと。現在は3名の女性運転士が在籍しています。
駆け足でこの100年を振り返ってみましたが、いかがでしたか。
函館の路面電車は、函館の街の歴史と密接にリンクしていることがおわかりいただけたことと思います。
100周年を迎えた函館市電では、毎年7月恒例の路面電車感謝祭も例年よりパワーアップして開催されます。
これを機会に函館の街を訪れ、函館市電の歴史に触れてみてはいかがでしょうか。
2013/2/4公開
協力(トップ画像提供も)/函館市企業局交通部
古写真提供/函館市中央図書館デジタル資料館 参考資料/函館市史、中島町史
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2013/2/4公開
協力(トップ画像提供も)/函館市企業局交通部
古写真提供/函館市中央図書館デジタル資料館 参考資料/函館市史、中島町史
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