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土方歳三ゆかりの五稜郭跡と松川街道を歩く

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明治維新前後の混乱のなか、戊辰戦争で旧幕府軍に合流した新選組の土方歳三は、1867(明治元)年10月20日ごろ(旧暦、以下同じ)に鷲ノ木(現在の森町)に上陸し、翌年5月11日に箱館市街地で銃撃を受けて倒れるまで、箱館戦争で新政府軍と戦いました。
7カ月足らずをすごした函館の地には、土方の足跡があちこちに残っています。
そんなゆかりの地を案内する、「土方歳三専門」街歩きガイドが、しらとりみちよさん。旧幕府軍の本拠地となった五稜郭と、土方が最後に進軍した松川街道を一緒に歩いてみましょう。
(五稜郭公園内、一本松にて)
 
◆五稜郭は土方が通い、帰らぬ人となって戻ってきた場所
 
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まずは、五稜郭公園からスタート。現在は観光客や市民の集う憩いのスポットですが、ここは江戸幕府の役所である「箱館奉行所」があった、星形城郭の跡。現在復元公開されている箱館奉行所は、箱館戦争の間、旧幕府軍の本拠地となりました。
 
土方は、普段は弁天台場のある市中(函館山のふもと)に居住していましたが、軍の打合せがあるとこの場所に馬で通ってきていたそう。「箱舘市中取締裁判局頭取の肩書きを持つ土方さんは、市民を守るために現大町に逗留していたのでしょうね。当時の箱館とは現在の西部地区ですから」としらとりさん。
 
5月11日早朝、ここで敵軍の総攻撃の情報をきいた土方は、2小隊50人ほどを率いて出陣しました。そして、銃撃を受けて亡骸は隊士達によって再び五稜郭に戻ったとされています。「小さな丘のようになっている松の根元に埋葬されていました。その後、首を狙う敵の目を眩ますため、あちこちに移されたようです」。
 
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(左)箱館奉行所付近には、幕末に植えられた樹齢150年以上の松が現存。よく見ると、幹に1~100番のプレートがついています。
(右)武田斐三郎顕彰碑から左手の広場にある「一本松」。「今は市内のどこかで安らかに眠っているのでしょう」。
 
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(左)奉行所の向かい、箱館戦争で使われた大砲。手前は旧幕府軍の台場に設置された大砲、奥は新政府軍「朝陽」の艦載砲。
(右)土方が箱館に来て最初に入場した裏門。「まだ松がそれほど高くなく、馬上からは奉行所の太鼓楼がよく見えたはずです」。
 
◆明治2年5月11日(現在の6月20日)、土方が最後に駆け抜けた松川街道
 
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「それでは、五稜郭から最期の地といわれる一本木関門まで、土方さんが最後に駆け抜けた道を歩いてみましょう」というしらとりさんのガイドで、約2.5キロのウォーキングに出発。ゆっくり歩いて1時間弱、どさんこ馬で駆ければおそらく5分ほどの道のりです。
五稜郭を背にして立つと、港までほぼ一直線の道が続いていました。「今は高い建物があってわかりにくくなっていますが、昔は函館山を正面に、まっすぐの道が見通せたと思いますよ」。この道は、港から五稜郭築造の資材を運ぶために作られたもので、工事にかかわった松川弁之助の名前をとって「松川街道」と呼ばれていました。
 
途中、旧幕府軍の前線基地であった千代ヶ岡陣屋を通りすぎ、港に突き当たるあたりにあったという一本木関門付近で戦死します。「弁天台場に立てこもる新選組の仲間達を助けに行く途中、撃たれたのでしょう......」。現在、実際に関門のあった付近に看板などはありませんが、すぐ近くの総合福祉センター内にモニュメントがあります。
 
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(左)途中、左手にある千代台公園。この付近から中島小学校にかけての一帯に千代ヶ岡陣屋がありました。
(右)千代ヶ岡陣屋で戦死した隊長・中島三郎助と息子2人の慰霊碑が、大通りをはさんだ反対側の緑地帯にあります。
 
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(左)中の橋で高砂通り(公園通り)から別れて、二股になった右手の細い道が松川街道。
(中)昔の雰囲気が残る街並みを歩きます。「正面に見える函館山を、土方さんも目に焼きつけていたかもしれません」。
(右)大縄町10あたりで八幡通りと斜めに交差し、二股になった右手の道に進みます。
 
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(左)国道5号線にぶつかったところが、松川街道の海側の端。ここから先は当時は海で、一本木関門はこのあたりにありました。
(右)すぐ近くの総合福祉センター内にある、土方歳三最期の地碑。一本木関門のレプリカがありますが、「当時の姿は不明です」。
 
五稜郭跡から一本木関門まで、箱館戦争に思いを馳せる散策。五稜郭の松や石垣にも当時の気配を感じることができました。
「土方さんが最後の侍らしく、誠をつくして戦い抜いた舞台である箱館の地。ぜひ足を運んで、ゆかりの場所を訪ねてみてください」。
 
2013/11/30公開
協力/しらとりみちよ(箱館土方組) 土方歳三の専門ボランティアガイド。日曜、祝日のみ対応、他要相談(ガイド料は無料)
 
散策マップ(クリックすると拡大します)
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