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海外渡航から150年超、新島襄ゆかりの函館案内

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2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」で、主人公の山本(川崎)八重の後の夫として登場し、注目を集めた新島襄。
国際貿易都市として発展する幕末の箱館(函館)の地を踏み、鎖国の禁を破ってアメリカに渡ったのが1864年。2014年で、命がけの海外渡航から150年の節目となりました。激動の時代を生きた彼にとって、函館はゆかり深い土地といえるでしょう。
函館に滞在した40数日で、新島襄はどのような足跡を残していったのでしょうか。その略歴と、函館におけるゆかりの地をご案内します。
131017M01.jpg(新島襄のブロンズ像)
 
◆鎖国時代に脱国を企てた新島襄と、それを助けた函館の人々

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1843(天保14) 江戸の上州安中藩屋敷で生まれる 
1864(元治元)4月21日 アメリカ渡航を計画し、箱館に来航
五稜郭を設計した武田斐三郎が教授をしていた諸術調所に入るつもりだったが、武田は江戸へ帰っていたため、塾頭の菅沼精一郎の紹介で、ロシア領事館付きの司祭ニコライの日本語教師となり、ハリストス正教会に居住。ちなみに、この年、五稜郭・箱館奉行所が完成している。
 1864(元治元)6月14日 函館湾内に停泊する外国船で出国
鎖国の禁を破ってでも海外見聞をしたいという強い情熱のもと、菅沼を介して神明社の宮司で後にキリスト教の洗礼を受ける沢辺琢馬(坂本龍馬のまたいとこ)、日本初の洋式商用帆船・箱館丸の建造にかかわった福士成豊と知り合う。神明社の祭りの夜、外国人居留地のポーター商会で働いていた福士の助けを借り、大町の築島の波止場から1艘の小舟で沖に出た後、湾内に停泊するアメリカ商船ベルリン号にたどり着き、密出国に成功。
1865(慶応元) 上海経由で、アメリカ合衆国ボストンに入港
1875(明治8) 海外で見聞を広め、宣教師として横浜に帰着
         京都に同志社英学校(のちの同志社大学)を創設
1876(明治9) 山本八重と結婚
1887(明治20) 八重夫人とともに保養のため再び函館を来訪
湯の川温泉、遺愛学院、ポーター商会、日本基督教団函館教会などを訪問。その足で、札幌に福士成豊を訪ねる。
1890(明治23) 心臓疾患で静養中に死去(享年46)
 
(左)函館出国時の扮装をアメリカで再現した写真(函館市中央図書館所蔵)
 
 

◆新島襄ゆかりのスポット

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箱館奉行所の教育機関として設置された北海道初の学問所。教授は、五稜郭の設計監督をした武田斐三郎。新島が箱館に来た目的のひとつが、ここで学ぶことだった。基坂沿いの元町公園下。
 
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司祭ニコライの日本語教師として下宿生活を送った場所。東隣にあったロシア病院(現在の函館ヨハネ教会付近)に眼病で入院した際、欧米の進んだ文化を目の当たりにし、渡航への思いが高まった。
 
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坂本龍馬と姻戚関係にあった沢辺琢磨が神職を務めた神社。当時は箱館神明社といい、幸坂の中ほどにあった。沢辺は、神明社の祭りの夜に敢行された新島の出国に関わったといわれている。
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新島が海外渡航した場所に設立された碑。脱国後、上海で作った漢詩が自筆の碑文として刻まれている。このあたりには外国人居留地があり、海外渡航の手助けをした福士成豊が勤めていた。
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箱館から密出国すべく1艘の小舟に乗り込んで外国船に向かう姿を再現。像の制作者は彫刻家の峯田敏郎で、正式な名称は「記念撮影 未来への始まり‐海原‐」。
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1874年、アメリカ人宣教師によって創設された。新島が日本に帰国後、妻の八重を伴って1887年に函館を旅行した際、訪問したとされている。遺髪がある函館千歳教会は系列。
         
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函館ハリストス正教会の隣で、今の元町・遺愛幼稚園の場所。1887年、八重夫人とともに来函した際に、宣教師より食事に誘われて訪れている。現在の建物は、1913年の建築。
 
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1901年創立、数度の大火による教会堂の焼失を経て、杉並町電停近くの現在の建物に。1937年に「新島襄脱国記念会堂」として再建された際に寄贈された新島の遺髪が保管されている。
 
 
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1857年に建造された日本初の洋式商用帆船。福士成豊と父の続豊治が製作に携わった。 
 
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1872年、福士成豊が、現在の金森赤レンガ倉庫の場所で官立気象台・函館気候測量所を創設。
 

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協力/中尾仁彦(なかおとよひこ。箱館歴史散歩の会主宰) 

2013/10/22公開


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