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函館東部の絶景スポット「恵山岬灯台」ストーリー

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函館の中心部から東へ車で約1時間、北海道南西部の渡島(おしま)半島の東端に位置する「恵山岬灯台」。目の前には海、背後には活火山「恵山」がそびえ、北海道らしい開放的な空間はドライブの目的地としてぴったり。近隣のホテル恵風(けいぷ)では食事や日帰り入浴が可能なほか、徒歩5分ほどの場所には野趣あふれる岩場の露天風呂「水無海浜温泉」がある隠れた人気スポットです。その魅力を余すところなくお伝えします。

 

◆恵山岬は絶好のフォトスポット

渡島半島東部には活火山である恵山を中心にした「恵山道立自然公園」があります。溶岩や噴石、火口からの噴気が織りなす荒々しい山容や数多くの高山植物が見られる、函館市東部エリア屈指の景勝地です。恵山岬灯台があるのは恵山の北側。散策路や遊具を備えた公園の中心にたたずんでいます。春夏秋冬、朝昼晩、晴天、曇天、雨天、どんなコンディションでも「映える」被写体として、プロアマ問わず多くの写真愛好家が集う場所です。

▲冬の夜明け(写真提供/チキンラーメン)

▲秋の曇り空(写真提供/@tami___photo)

 

▲ドローンで上空から

※ドローン撮影は、国土交通省が定めた飛行ルールに従って安全に行ってください

 

◆恵山岬灯台の誕生は明治時代半ば

(写真提供/燈光会)

初代の恵山岬灯台が建設されたのは1890(明治23)年のこと。江戸条約(1866年に締結)によって日本国内には少しずつ西洋灯台が建設されはじめていましたが、北海道の広大な海の安全を担保するためには、まだまだ充分ではないという状況でした。当時の北海道庁は遅れていた海の安全体制を整備しようと、北海道内で28カ所の灯台建設を決めます。その中のひとつが、北前船の時代から海の難所として知られていた恵山岬でした。

点灯開始は明治23年9月29日付の官報に掲載されていますが、所管する逓信(ていしん)省(通信を管轄していた中央官庁)の大臣が坂本龍馬の盟友の後藤象二郎だったというのも、歴史好きが熱くなるポイントです。

1908(明治41)年には、灯火に加え、霧信号所としての業務を開始するほか、1920(大正9)年には光源を電灯に変更するなど、着実に業務拡大と近代化を進めていきます。津軽海峡の出入口、海の難所の守護神として、恵山岬灯台の重要度は上がる一方でした。

 

(写真提供/燈光会)

完成から40年近くの間は白の塗装でしたが、1929(昭和4)年に白と黒の2色に塗装し直されました。

やがて、順風満帆だった恵山岬灯台にも曲がり角がやってきます。第二次世界大戦開戦後、海軍省と逓信省の協定によって灯台は防空監視網に編入。軍事施設とみなされ、空襲の標的となって各地で大きな被害を受けました。恵山岬灯台も終戦間際の1945(昭和20)年7月の空襲で大破。灯台はもちろん、霧信号所、職員宿舎などの周辺機能も失われます。

しかし、わずか3カ月後の10月26日、灯台守たちは焼け残った鉄塔を使って仮点灯させます。恵山岬沿岸は灯台守の使命感によって安全が担保され、戦後復興の物流に大きく貢献することになりました。

 

◆現在の灯台は、戦後まもなく建てられた二代目

(写真提供/燈光会)

現在の形となる二代目の恵山岬灯台は、初代が空襲で大破してから約3年半の月日を経て、1949(昭和24)年1月に誕生しました(上は、光源の工事が途中という貴重な写真)。

(写真提供/燈光会)

 

初期の恵山岬灯台には、霧信号所のほか気象観測などの業務棟、灯台守の宿舎などがあり、灯台の運用が今より格段に大変だったことを伺わせる規模を誇ります。バルコニーの材質も今とは異なっています。

 

二代目になってからも、マイクロ波レーマークビーコン(無線方位信号所)が設置されるなど先進化がはかられましたが、同時に自動化も進んでいきました。1968(昭和43)年に灯台守の常駐勤務が廃止となり、函館海上保安部職員の交代勤務に移行。それから27年後の1995(平成7)年には、交代勤務も終了して無人化されました。

現在の恵山岬灯台は、霧信号所やマイクロ波レーマークビーコン業務が廃止され、灯台の自動点消灯による航路標識としての役割のみ担っています。そのほか、気象データの収集を行い、電話やWEBサイトで情報提供を行う役目も果たしています。近年はGPSに頼った航行も可能なので灯台の役割も変化していますが、それでも船舶運航に携わる人たちは「目視以上に確実なものはない」と話します。灯台の存在は、海に携わる人たちに変わらない安心感を今も与えています。

 

◆恵山岬灯台トリビア1 ここが太平洋と日本海の境界

津軽海峡は北海道と本州(青森県)の間にあって、日本海と太平洋とを結ぶ国際海峡です。その範囲は、恵山岬灯台と青森県の尻屋埼灯台を結んだ「東口線」、北海道松前町の白神岬灯台と青森県の龍飛埼灯台を結んだ「西口線」の間の海となります。正確にいうと、津軽海峡は日本海の一部。したがって、恵山岬灯台と尻屋埼灯台を結ぶ東口線が「日本海と太平洋の境界線」なのです。

 

◆恵山岬灯台トリビア2 飾り窓のデザイン

上部にある発光部の下の丸窓ですが、じつは灯台自体の機能には影響していません。夜間に点灯したとき、ここから漏れる光がアクセントになっているのです。

また、バルコニー下の長方形の窓は上り下りに使う螺旋階段の採光窓。照明も発達した現在、本州の灯台はこの窓が風雨で割れてしまうのを防ぐため、コンクリートで塗りつぶされていることが多く、専門家によると「オリジナルの窓は貴重」だそうです。恵山岬灯台をご覧になるときは注目してみてください。

 

◆恵山岬灯台トリビア3 130年間、休まず点灯

はこだてクリスマスファンタジーのツリー点灯は12月だけですが、恵山岬灯台は春夏秋冬、どんな気象条件でも毎日点灯しています。設置された明治20年代のこの地区は、「船で往来するのが一般的なアクセス法」というほどの陸の孤島だったそうで、灯台職員の応援もままならない状況でした。しかも初点灯から大正期までの光源は石油灯。電化する以前の灯台機器の整備に加えて、過酷な気象条件下の燃料輸送など、さまざまな困難を8人の灯台守とその家族で乗り越えてきました。初点灯から130年以上。恵山岬灯台の灯りは戦禍の時期を除いては一日も途切れたことはなく、難所と呼ばれる恵山岬沿岸の安全を守ってきました。

ちなみに、現在は自動でオンオフされるようになっています。そのタイミングは日没時刻から日の出時刻まで......ではなく、灯台に設置されたセンサーによって、日没前の一定以上の暗さで点灯し、日の出前の一定以上の明るさで消灯となります。つまり、日没の時刻を狙って行くと既に点灯していることになるので、点灯の瞬間を見るならお早めにどうぞ。

恵山岬灯台のふもとで点灯する瞬間を見守るのは、非日常の癒しを求めているかたにぜひおすすめしたい体験です。人けのないなか、聞こえるのは波の音だけ。潮風を浴びながら、徐々に空の色が変化していくのを感じつつ、ただ一点、灯台のライトを見守る......めい想をしているかのように心が穏やかになり、静かに灯りがともる瞬間は感動そのものです。

 

2023/3/9公開

協力/恵山岬灯台活用協議会


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