石川啄木居住地跡

※函館新聞社撮影※石川啄木居住地跡.JPG

1907(明治40)年、石川啄木は津軽海峡を越えて函館に降り立つ。青柳町に居を構え、家族を呼び寄せたのがこの付近である。その後、大火に遭遇して札幌に移住。

180812M01.JPG
180812M03.JPG
1907(明治40)年5月5日、石川啄木が津軽海峡を越えて函館への第一歩をしるしました。啄木の目に、函館は外国船の行き交う活気のある港町と映り、また函館山の姿に大変惹かれたそうです。函館に来るきっかけとなった、文学に夢中な同志のもとで仮住まいした後、離れ離れになっていた家族を呼び寄せ、住まいを定めたのが函館山のふもとにある青柳町でした。
 
山麓を横断する公園通(通称・啄木通り)に面し、啄木が付近に居住していたことを説明する案内看板が建ちます。実際の場所は、奥へと続く狭い路地を突き当たって左折した一角。軒を並べる民家には、当時の趣きを彷彿とさせるような生活感が漂っています。
 
啄木が住んだのは6畳2間の長屋。窓は東向きで、家具や家財は同志が持ち寄ってくれたそうです。父の失職で困窮した生活を立て直すめどが立つと、盛岡に残してきた妻の節子と長女の京子に続き、青森県野辺地から母のカツ、小樽から妹の光子を迎え、啄木は函館での新生活をスタートさせます。家族水入らずの暮らしも束の間、8月25日に大火が発生。新居は難を逃れたものの、勤め先や書きためた原稿を焼失し、一家は再び苦境に。啄木が北の大地を踏みしめて132日、函館での生活に別れを告げ、札幌へと旅立つことになりました。

関連記事

カテゴリー

  • 元町・函館山
  • 史跡・碑(市内)
  • ゆかりの人
  • 歴史好きに
  • 市電から徒歩5分以内
  • 英語看板

詳細情報

住所 函館市青柳町15
アクセス情報

市電 「青柳町」電停 下車 徒歩5分

問合せ先 函館市観光案内所
電話番号 0138-23-5440
駐車場

なし

近くのスポット

近くの宿泊施設

このサイトでは、ユーザーエクスペリエンスを向上させるためにCookieを使用しています。引き続き閲覧される場合は、当サイトでのCookie使用に同意いただいたことになります。 承諾する