新島襄ブロンズ像

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港にたたずむ新島襄のブロンズ像。1864年、箱館から密出国すべく、小舟に乗り込んで外国船に向かう姿を再現している。場所は西波止場近くの末広緑地。

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函館市内を歩いていると、多くのパブリックアート(街なかのアート作品)が見られます。なかでも有名なのが、ベイエリアの函館西波止場近くの末広緑地にある「新島襄ブロンズ像」です。こちらのブロンズ像、正式な名称は「記念撮影 未来への始まり‐海原‐」といいます。像の制作者は彫刻家の峯田敏郎で、2002(平成14)年に建立されました。

新島襄は、五稜郭を設計した武田斐三郎が教授をしていた諸術調所に入るために箱館にやって来ました。しかし、武田は江戸へ帰っていたため、塾頭の長岡藩士・菅沼精一郎の紹介で、ロシア領事館付きの司祭ニコライの日本語教師となりました。その後、鎖国の禁を破ってでも海外見聞をしたいという強い情熱のもと、1864(元治元)年6月14日夜、大町の築島の波止場から1艘の小舟で沖に出た後、湾内に停泊するアメリカ商船ベルリン号にたどり着き、密出国に成功。海外で見聞を広め、後に同志社英学校(現在の同志社大学)を創設しました。ブロンズ像では、小舟に乗って密出国する時の姿が表現されており、変装した服装などの様子がわかります。

像から歩いて5分ほどの場所には、新島襄海外渡航の地碑があり、新島襄が脱国後、上海で作った漢詩が自筆の碑文として刻まれています。異国への夢と故郷を思う気持ちの間で揺れる心情があふれる内容です。

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詳細情報

住所 函館市末広町24
アクセス情報

市電 「末広町」電停 下車 徒歩3分

問合せ先 函館市観光案内所
電話番号 0138-23-5440
駐車場

なし

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