兵糧庫
五稜郭公園内にある兵糧庫は、1864(元治元)年に五稜郭が築造され、箱館奉行所が完成した時期に建てられた土蔵造りの建造物。幅21.8メートル、奥行9.1メートル、広さ60坪で、五稜郭の築造当時の目論見書きには「土蔵」とだけ明記されていますが、奉行所時代および箱館戦争時代ともに、食糧庫として使用されていたと考えられています。 箱館戦争終結ののち、1871(明治4)年には、五稜郭内の建物は箱館奉行所をはじめとしてほぼすべて解体されたものの、この土蔵だけは手をつけられることなく残りました。
1873(明治6)年、五稜郭は陸軍省に移管され、1913(大正2)年に函館市へ無償貸与、1914(大正3)年には公園として一般開放されました。この建物は、その後も元の場所で維持されており、1917(大正6)年から1926(大正15)年までは、伊予松山藩出身の片上楽天が箱館戦争の資料館「懐旧館」として借り受けました。片上が大正15年に急逝して閉館しましたが、氏の集めた箱館戦争に関するさまざまな資料は函館市へと寄贈され、現在は市立函館博物館に収蔵・展示されています。
具体的にいつ改修されたかは不明確ですが、少なくとも大正6年には外壁が下見板張りになり、名前もいつしか兵糧庫と呼ばれるようになり、元からはかけ離れた姿になっていました。老朽化や破損が進行したため、1972(昭和47)年から翌年にかけて解体を伴う復元・復旧工事が行われ、下見板張りから当初の土蔵造へ復旧整備されたのち、2001(平成13)年から翌年にかけて行われた発掘調査で得られた柱穴の位置をもとに、元来付属していたと推定される下屋(庇屋)等の復元を含む整備を行い、現在の姿となっています。
復元された箱館奉行所の斜め向かいにあり、外観はいつでも見学できます。建物内は、例年8月1日から8月31日まで一般公開され、無料で見学できます。中には、五稜郭内で発掘された磁器やガラス製品、木製の水道用樋の実物、一の橋・二の橋で用いられていた古材、箱館戦争時に旧幕府脱走軍軍艦「蟠龍」の砲撃を受け爆沈した明治新政府軍軍艦「朝陽」の竜骨の一部などの大型資料も展示されています。
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詳細情報
住所 | 函館市五稜郭町44番地 |
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アクセス情報 |
市電 市電 「五稜郭公園前」電停 下車 徒歩18分 ※JR函館駅から市電・バスのご利用をおすすめします |
問合せ先 | 箱館奉行所 |
電話番号 | 0138-51-2864 |
利用時間 |
内部の公開は8月のみ(10:00~15:00)五稜郭公園郭内の開門 5:00~19:00(4~10月) 5:00~18:00(11~3月) |
駐車場 |
なし |
関連リンク |
五稜郭の歴史(箱館戦争から現在) 特別史跡五稜郭跡内 「兵糧庫」特別公開 |