「 建築は、江戸時代の最高の技術集団・柏崎グループによるもの。5代目篠田宗吉を中心とした大工や彫師による彫刻は、高龍寺最大の見どころといえるでしょう」と中尾さん。
1899年(明治32年)に建立され、1907年(明治40年)の大火の難をのがれて今日に至ります。四方に庇屋根を延ばした「入母屋瓦屋根」、その下に裳階(もこし)という庇屋根を正面から側面にかけて回し、二層構造の優美な姿。周囲に下屋と縁をめぐらせ、東西に回廊が付属しています。
建築は、越後・柏崎出身の名匠、4代目篠田宗吉を中心とした大工や彫刻師、鋳物師らで、建材を越後から運んで建てました。受処のある庫裏(くり)から廊下を通って案内された堂内は、39本の太いケヤキの柱と梁で構造を支えて作った力強い内部空間。その重厚さの中央にきらびやかな須弥壇があり、釈迦三尊が祀られています。堂内は9室あり、正面の向拝などに施された精巧な彫刻も見事です。
◆開山堂(臥龍廟)~歴代住職や五百羅漢などを祀る(1899年建立)
本堂に向かって左手に位置し、中央部がカーブを描いた唐破風屋根の玄関、白壁の煉瓦造漆喰壁で、ひときわ目立つのが開山堂。本堂と同じ頃に建てられ、現存する建造物ではもっとも古いものですが、平成15年の改修で外観が新しくなりました。
堂内には、歴代の住職をはじめ、33観音、500羅漢、16羅漢、釈迦十大弟子などが祀られ、荘厳な雰囲気に満ちています。改修時に漆貼りされた天井絵も見事。
中央に祀られているのは、高龍寺を開いた盤室芳龍大和尚、曹洞宗の開祖で永平寺を建立した道元禅師、曹洞宗のもうひとつの本山である総持寺開祖の螢山禅師です。
◆位牌堂~先祖の位牌を永代に祀る(1933年建立)◆金毘羅堂~航海安全・漁業の神を祀る(1915年建立)
開山堂の左には、位牌堂、金毘羅堂。位牌堂の入母屋瓦葺は本堂の小型版で、全体的に雰囲気もよく似ています。
金毘羅堂は魚神を奉るもので、地元に密着した神仏習合の象徴。北洋漁業が盛んな時期に作られました。
◆水盤舎~参詣者が手や口を清める(1917年建立)
山門を入って左脇には、参詣者が手や口を漱ぎ清めるための水盤舎。こちらも風格のある屋根の形が印象的です。
龍の水口、足元を支える力人も見もの。
◆鐘楼~朝夕、鐘の音が響く(1922年建立) ◆宝蔵~寺宝を収蔵(1916年建立)
山門の右手に並び建つのは、鐘楼と宝蔵。戦争で供出された鐘は、1951年(昭和29年)に再鋳されました。
宝蔵は、レンガ造りの入り口、白い漆喰壁、腰周りにはめ込み下見板をまわした蔵造りという外観がユニーク。
旧函館区公会堂建築時の寄付など函館の発展に尽くした豪商、大檀家の相馬哲平氏の寄付により作られました。
北海道有形文化財指定の蠣崎波響筆「釈迦涅槃図」などが収蔵されています。
◆土塀・防火塀~寺を囲む趣のある塀。特に重厚なレンガ塀は大火の歴史の象徴(1910年建立、一部はそれ以前のものか)
山門脇の袖塀に続いて、土塀、レンガ塀が寺の周囲に巡らされています。
特に見どころは、坂の下方(東面)と上方(北面奥)に設けられたレンガ造りの防火塀。度重なる大火の歴史から、厚さ60センチにもなる重厚なレンガ塀で延焼を防止しました。1910年(明治43年)の建築とされていますが、上方の塀には明治40年の大火の跡らしい焼け焦げがあり(下左)、それ以前(明治10年代?)に造られたものと思われます。
レンガの積み方の違いにも注目で、上方のものはフランス積み(写真左。横一列に小口と長手が交互に並んで見える)、下方のものはイギリス積み(右。一列ごとに小口のみ、長手のみ......と交互に積む)。一般に、フランス積みのほうが時代が古いと言われています。
改めて高龍寺を訪ねての中尾さんの感想は、「明治から昭和初期の函館繁栄の象徴であり、国の文化財にふさわしい風格ある境内景観ですね。さらに、大火の町・函館の寺院らしく、袖塀・防火塀など防火への備えが評価されたことは、意義あること」。
住職からは、「例年、4月には釈迦涅槃図の公開、10月にも宝物展を開きます。敷居が高いと思われがちですが、昔から地域に根づいた寺院なので、建物を見るだけでも気軽に訪ねていただきたい」との言葉。函館の旅の楽しみのひとつに加えてみてはいかがでしょう。
原稿協力/中尾仁彦
高龍寺 函館市船見町21-11 0138-23-0631
開門 9時~16時 境内見学自由
拝観希望者は受処へ (ただし、寺の行事などで拝観できない場合もあります)
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◆境内の見取り図
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