傷心惨目の碑
函館市内最古の寺院となる高龍寺の境内に、ひとつの碑がひっそりと建っています。
箱館戦争当時、現在地より坂下にあった高龍寺は、旧幕府軍の箱館病院分院として使われていました。1869(明治2)年旧暦5月11日、新政府軍が乱入し、傷病兵らを斬殺するとともに建物に放火するという事件が起きました。
高龍寺はその後の大火にともなう区画整理のため、1879(明治12)年に現在の場所に建て替えられましたが、翌年、犠牲になった会津藩士を供養しようと、旧会津藩有志が碑を建てたといいます。
高龍寺はその後の大火にともなう区画整理のため、1879(明治12)年に現在の場所に建て替えられましたが、翌年、犠牲になった会津藩士を供養しようと、旧会津藩有志が碑を建てたといいます。
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詳細情報
住所 | 函館市船見町21 高龍寺境内 |
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アクセス情報 |
「高竜寺前」バス停 下車 徒歩1分 |
問合せ先 | 函館市観光案内所 |
電話番号 | 0138-23-5440 |
利用時間 |
開門時間6:00~16:30 |
駐車場 |
無料駐車場あり(高龍寺駐車場120台) |