ゴシケヴィッチ胸像
ヨシフ・アントノヴィッチ・ゴシケヴィッチは、初代駐日ロシア領事。1858(安政5)年に函館(当時は箱館)に着任し、仮領事館の置かれた実行寺で箱館奉行らと交流。ともに着任した海軍士官、医師、司祭らが写真術や西洋医学、天文学、気象学といった先進的な西洋文明や、ロシア語を日本人に教え、函館とロシアの交流の基礎を築きました。
胸像は、ロシアの彫刻家オレグ・コモフの作品。プレートには「ソ連対外友好・文化交流団体連合会より函館市民に贈られたものです。1989.5.16 ゴシケビッチ顕彰会」と記されており、1989(平成元)年の北方歴史資料館での除幕式にはソ連大使が参加したとのこと。2014(平成26)年のゴシケヴィッチ生誕200年記念式典に合わせて、函館市地域交流まちづくりセンターへ一時展示後、旧ロシア領事館に保管されていました。その後、函館市へ寄贈され、2019年3月から函館市地域交流まちづくりセンター1階に常設展示されています。
ゴシケヴィッチは1814年、ロシア帝国ミンスク県レチツァ郡(現ベラルーシ共和国)でロシア正教会の司祭の子として誕生。1839年にサンクトペテルブルク神学アカデミーを卒業し、1848年までロシア正教北京伝道団の一員として北京に駐在して、中国語、満州語、朝鮮語、モンゴル語を習得しました。1850年にロシア外務省アジア局特任職員となり、1852年にはプチャーチン率いる訪日外交使節団の中国語(漢文)通訳・顧問官として来日。日本人の橘耕斎から日本語を学びます。ロシアへの帰還途中の1855年、クリミア戦争でロシアと敵対していたイギリスの軍艦に拿捕され、9カ月間抑留。その際、橘とともに初の本格的な和露辞典「和魯通言比考」を作成し、ロシア帝国アカデミーからデミードフ賞を受賞しました。
1858年からは函館を拠点に駐日領事として活躍し、また「ポサドニック号事件(対馬占領事件)」では、強硬派のロシア海軍と対立しながらも事件を収拾に導きました。1861年に総領事へ昇格。翌年にはロシア人として初めて将軍家茂に拝謁。1865年に領事館を後任に託して帰国後、外務省勤務を経て現ベラルーシ共和国へ戻り、「日本語の語源について」を執筆。1875年に同地で死去しました。
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詳細情報
住所 | 函館市末広町4-19 |
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アクセス情報 |
市電 「十字街」電停 下車 徒歩2分 |
問合せ先 | 函館市地域交流まちづくりセンター |
電話番号 | 0138-22-9700 |
利用時間 |
9:00~21:00 |
休日 |
年末年始(12/31~1/3)※器材点検等による |
利用料金 |
見学無料 |
駐車場 |
あり(30台。2時間まで無料、以降30分ごとに100円) |
関連リンク |
函館市地域交流まちづくりセンター |